顔だけ黄色い人

いつかこのコメを思い出してきっと炊いてしまう

邪馬台国は無かったし卑弥呼という名の女性はいなかった説 #知恵泉

NHK-Eテレ「知恵泉」で

2017年5月2日、5月9日の2週に渡って放送されたのが

 

邪馬台国はどこにある?古代ミステリー楽しもう・前編/後編

 

でした。

そこまで邪馬台国のこと、魏志倭人伝に詳しくないんですが

日本好きとしてはもちろん興味があります。

 

邪馬臺国がどこにあったのか?

卑弥呼はどういう人だったのか??

 

 

今回の放送でとくに気になった点を1つだけ取り上げたいと思います。

 

それは

 

邪馬台国という国は無かったし、卑弥呼という名の女性はいなかった

 

というものです。

 

 

邪馬台国という国は存在していなかった

邪馬台国の場所については

九州説や畿内説だけでなく、四国や日本全国に候補地があります。

 

それは魏志倭人伝の読み方・・

たとえば、距離が間違っているとか方角が間違っているとか

そのままの意味で取ると、おそらく陸地が存在しない場所に邪馬台国があったことになってしまうため(はるか南方の海上?)

その説を唱える人ごとにそれぞれ違う読み方をしているからです。

 

なので、この「知恵泉」という番組で言われている位置関係も

「全く違うよ!」という人もいるでしょうが(^_^;)

とりあえず、知恵泉で言っていたとおりに。

 

 

邪馬台国と卑弥呼を知るのに重要な手がかりになるのが

「狗奴国(くなこく)」とその王「卑弥弓呼(ひみここ」という人です。

 

この狗奴国を濃尾平野、愛知県辺りと想定していました。

そして、「狗奴国は邪馬台国の東にある」という情報から

おそらく邪馬台国は畿内にあったのでは?ということでした。

 

「邪馬台国からみて狗奴国は東にある」

という情報も、実は違うと言う方もいそうですが・・

「邪馬台国の南にある」というのをよくみかけますが、知恵泉では東にある

としていました。

 

 

東海地域では縄文・弥生の頃から大型集落が登場し

卑弥呼と同時代にも多くの土器が出土しています。

 

その東海地域にあったのが「狗奴国」で、治めていたのが

卑弥弓呼だったのではないかと。

 

狗奴国は邪馬台国に従っていた国ではなく、争っていたライバル関係にあった国で

この東海地区で多く出土する「S字甕」という特徴ある土器が

伊勢方面や北陸、関東一円でも見つかっており、広い範囲に勢力が及んでいたと考えられています。

 

東日本についてはこの狗奴国を中心に、東北南部ぐらいまでがひとつのまとまりになっていたのではないか

とのことでした。

 

狗奴国が東海地区、愛知県辺りにあるとすれば

邪馬台国はその西側にある

 

ということになり、そうなると有力なのは・・

畿内

 

纏向遺跡

 

ではないか、ということでした。

 

 

これまでの発掘調査から、全国でも例がないような巨大な建物跡があるなど、纏向遺跡には強い権力者がいたことがわかっているそうです。

 

桃の種が2700個も出土しているそうで

桃は魔除けや不老長寿の象徴とみなされるので、祭祀に使われたのではと推測されているとか。

 

巨大な建物、祭祀の跡から

やはり邪馬台国がここにあり、卑弥呼がここにいたのではないか

とのことでした。

 

 

卑弥呼と同時代に強い力を持っていたであろう人がいた地域は

日本の他の場所にも広がっており

 

朝鮮半島に近く、伊都国や奴国があったとほぼ確定している北部九州だけでなく

出雲地方や吉備、北陸にもそのような遺跡・古墳があるそうです。

東海の、おそらく狗奴国と思われる場所もそのうちのひとつで

 

北陸にも影響力があって、東にある狗奴国と対抗できる場所と考えれば

やはり畿内、奈良纏向ではないか

ということなのだそうです。

 

 

ところが、纏向遺跡には他の遺跡とは全く違う特徴があることがわかりました。

 

・人が住んでいた痕跡がない

(どの遺跡からも必ずみつかる水田や畑がみつかっていない、農耕に使う道具類の出土も圧倒的に少ない、さらに農民たちが生活していた痕跡もみつかっていない)

 

・全国から人が集まっていた可能性がある

(出土した土器をみると、東海、北陸、出雲、鳥取、関東、九州北部など、種類や量から考えると、全国各地から人々が纏向にやってきたことがわかる)

 

 

つまり、

 

この奈良盆地の辺りが独立した国で、その中心が纏向であり

そこに人々が集まって暮らしていた

 

という形ではないとかんがえられる

 

ということ。

 

 

なのでもしかすると、纏向遺跡というのは「国会議事堂」のようなところで

各地から集まった代表者が国の政治を行う場所だったのではないか

 

ということでした。

 

 

さらに纏向遺跡は

昔からあった遺跡というわけではなく

3世紀にある日突然ここに出現したもの

なんだそうで

それまで人がいなかったところに急に巨大な建物ができたりした場所である

だそうです。

 

 

・・とすると??

 

もしこの纏向遺跡が邪馬台国だとするのなら

卑弥呼という代表者がいる「国」のひとつ

ではなく

 

実は「邪馬台国」という「国」はそもそも存在しておらず

この連合国家のことをそのように呼んでいただけかもしれない

 

ということでした。

 

卑弥呼という名の女性はいなかった

さらに、邪馬台国がなかっただけでなく、「卑弥呼」という女性も実はいなかったんじゃないかという話があります。

 

「卑弥呼」というのは個人名ではなく地位や身分を示すものではないか

ということ。

 

卑弥呼

ヒミコ → ヒメミコ

      ヒメミコト

 

これを中国から来た人が、個人名と勘違いしたんじゃないかということでした。

 

 

これは・・・たしかに〜〜〜と思いましたねぇ〜

 

ここからはNHKでの放送内容ではなく、自分の想像なんですが・・

 

 

 

「姫命」(ヒメノミコト)という名がついた

日本書紀や古事記に登場する女性の皇族が何人もいます。

 

 

また、女王・卑弥呼(ひみこ)の邪馬台国と敵対していた狗奴国の王の名前が「卑弥弓呼(ひみここ)」って言うのも変ですよね(笑)

まあ、もしかしたら「親族」や血のつながりがある人だった可能性もゼロではないと思いますが

それにしても、ここまで名前が似るとはちょっと考え難い気が・・(笑)

 

「卑弥呼」という漢字も完全に当て字でしょうしね。

わざわざ「卑」なんて字を使うわけないですし(そもそもこの時代は、日本にはまともに字は無かったんでしたっけ?)

 

 

卑弥弓呼(ひみここ)についても、男王だったとすると

実は「彦命(ひこのみこと)」だったんじゃないかと。

こちらも姫命と同様に、日本書紀や古事記に登場する皇族の男性の名前につく言葉です。

つまりこちらも、身分か地位の名前で。

 

 

だから、やっぱり、卑弥呼も卑弥弓呼も

そんな名前の人は存在しなかったんじゃないか

という気がしてきますね。

 

ちなみに、卑弥呼の娘と言われる「壹與(いよ)」については個人名のような気がしますが。。

 

 

 

・・ということで、

 

やっぱり古代の話はワクワクしますね(笑)

 

「卑弥呼の墓は大きい」という情報はあるので

おそらく今あるどこかの古墳が卑弥呼の墓である可能性は高いと思います。

 

しかし、宮内庁からゴーサインが出ないと調査はできませんから・・

もしかしたら永遠にわからないかもしれないですし

いつかは調査OKになりわかるかもしれません。

(箸墓古墳とか?)

 

今回の内容をみて、畿内説が有力な気がしますね邪馬台国。

まあ、「邪馬台国はなかった」ということではあるんですけど(笑)

 

同時期の全国に強大な勢力があったのに、魏志倭人伝で言われている「倭」という国(?)が

北部九州だけのことっていうのもちょっとどうかなという気がしますしね。

 

現代人が考えているよりも、その時代の人は日本全国を行き来していたようですし。

北部九州の人だって、きっと北陸や東海の部族のことも知ってたでしょうし。

 

やっぱり、邪馬台国→大和朝廷 なんですかね〜〜

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